2008年6月4日水曜日

生きている

(注・我慢して読め、業務命令だ)

以前、温泉旅館に宿泊中、たわむれに自分の生まれて現在まで
年齢の数字を入れてみた。そして今まであった大きな出来事を書いていく。

その後、俺はたばこを吸うし、やめるつもりはまったく無い。「55歳・肺がん」で死去として
38歳から55歳までマス目を埋めていく。
その埋めた間隔がなんと短いことか、
「指でつまむぐらいじゃ」と驚いた。
そして毎日を悔いなく生きていかなければ、と思う。

27歳の時、地元函館に住んでいた頃、腸捻転と胃痙攣を同時にやって死ぬほど痛かった。そして
入院したことがあるんだ。周りの患者はどんどん死んでいく病棟で、おっさんに「お前なんて鼻風邪以下だべや」
「俺は糖尿病で十字腹で切られてほら」とスサマジイ傷あとを見せられて
「俺さ、切られて腹開かれてるときにだよ、その時、聞こえてきたのは「いか踊り音頭」だ。函館まつりで「いか、いか、いか、いかいか踊りー」だぞ皆、しねー思ったね。と煙草を吹かす。

奥さんを白血病で亡くした旦那さんは、妻の思いでを俺と将棋を指しながら話す。
回復した自分を、羨ましいような、恨めしいような視線で鏡越しに見ていた女性がいた。
(俺は点滴の「スタンド」を引くのが面倒で、マイクスタンドを持つように持ち上げて移動していた。それがジェラシーをかきたてたと思う)
もう、二度と病院から出られないのに「ああ、帰れるんですね、良かったですね、退院おめでとう」と満面の笑みで送ってくれた男性。

生きたくても、生きられない「~しとけばよかった」と思いを残して死んでいく大勢の人がいるのに、仕事で不平不満ばかり言っていた自分を恥じた。
そして回復してから社会福祉士の試験を受けたあと、青年協力隊でボリビアに行くきっかけとなった、と思う。

「人生に何一つ無駄なものはない」はずだ。
じゃあなベイベー

0 件のコメント:

自己紹介

自分の写真
横浜市, 神奈川県, Japan
障害者・地域支援センター作業所型ほっと館「ぷらすわん」で働いている「やまちゃん」です。