2009年3月24日火曜日

夢見ヶ崎公園へ外出する。




作業所「ほっと館・ぷらすわん」はいつも仕事しているわけではない。
夢見ヶ崎公園へ外出してきた。
太田道灌がここに城を作ろうとしたが
「夢見が悪かった」ことから「夢見ヶ崎」と名前がついたらしい(看板によると)
道灌、かなり苦しく七転八倒で、寝汗びっしょりでうなされたんだろうね。
「余は違う所に築城する!ここはだめじゃ!」なんてね。

外出すると利用者の日常と違う顔が見れて楽しい。

2009年3月23日月曜日

こうありたい

バンクなナンバー、JAM「mottö (モットー)」でディープに晩酌中
YUKI最高。

こうありたい。
「自分の基準を持つ、でも自分の基準に縛られない」
「他人の教科書に左右されない」
じゃあ。

ほっと館・宇宙

JAM「エゴイスト・・?」で晩酌中。

朝の送迎で皆を日産「キャラバン号」に乗せて送迎後、
他の作業所「ほっと館・宇宙(そら)へ応援人員として現場に入る。
ここは地域社会へ「お弁当」を配送している「ふきよせ」と
重複障害者の日中活動(石鹸作りや園芸等)を行う二本立て運営されている。
この「ふきよせ」弁当がとても美味しい。

身障者が多くて、動きが活発な俺の居る「ぷらすわん」とは全然違うし
表現が難しいが、なんか雰囲気が全然違う。俺は段取りもわからないし
各利用者の留意点を知らないので
「実習生」のような心もとない気持ちだ。
しかし、俺はとても有意義で新しい扉が開ける様な発見が多かった。

そして、各スタッフは真剣できめの細かい支援を
行っていて質がとても高い。(具体的で悪いな。俺の秘密だ)
仲間の頑張る姿に奮起される思いだ。

その後で地域活動ホームで、通所が滞っている利用者のカンファレンスして
現職場「ぷらすわん」に戻る。
そして相棒の職員から「楽しかったエピソード」の報告を聞いた。

ジュディマリ聞いて、引っ越し準備

3連休は引っ越し準備で自宅で掃除・荷物を積めての繰り返しで軟禁状態であった。
刑務所の囚人はこれを何年も続けるのだろうか?
なるほどこれは「罰」だねえ。

ギリシャ神話にある「シシフォスの石積みの刑」だ。
ゼウスの怒りを食った王「シシフォス」は
一日中、山の頂に重い石を積みあげていく罰だ。
次の日には元通り。またもう一度やり直しなのさ。
永遠に同じ事を繰り返す罰。
地下鉄に乗ってるとサラリーマンや
奥さんの疲れた表情を見てると皆、「シシフォスの罰」受けているみたい。
電車内で俺もその一人なんでしょうか。
「俺はそうじゃないよ!」と表情に気合入れてみる。

「作業所・ぷらすわん」でも、同じ事を繰り返す罰の様に
利用者が陥ること無いようにしていきたい。

引っ越しで俺は7年掃除しなかった「罰」今受けているが、
「もういやだ・・」と息詰まる俺はハードオフで「ベース」を購入して
渡辺淳一の「欲情の作法」と「安部定」を読んで、
「ジュディマリ」聞いて酒飲んで掃除していた。

俺は言い聞かせる。
これは自分を高める「エクササイズ」なんだ!
「特掃清掃」の隊長の「境遇」よりマシだ!
と折れそうな心を奮い立たせてドロドロ・タール状の汚れと立ち向かう。

しかし、今聞いてもジュディマリは凄い。
ギター滅茶苦茶・無茶苦茶・カッティング暴れまくり
くじら12号の恩田ベースうねりまくり。
YUKIちゃんかわいい。応援してます函館出身!OK

で、グループ的に危機的な「メンバーの愛と別離」「ライバル関係の確執」「音作りで年の差のプライド」、「音のこだわりの確執」等の無理な状況が火花を散らした「くじら12号」以降が最高。

この状況、周囲は悪い状況と思うだろうが、
危機的状況ほど「最高のモノ」を生むことがあるんだな。と思う。
「ぷらすわん、大丈夫ですか」と聞かれることが時にあっただろうが
心配に及ばない。「大丈夫」である。
人員的に不安定なH20年度の俺の職場は、有能なスタッフの
新しい試み、アイディアにより大きな進展・成長があった。

そして俺たちは新しい「ネクスト・ステージ」へ向かう。
じゃあな。

2009年3月19日木曜日

「ビビンバ丼」


ぷらすわん作業所で「ビビンバ丼」を作った。
なかなか美味しかったぞ。

ジュデマリの「くじら12号」最高

2009年3月18日水曜日

作品



最近はネックレスのトップやイヤリングに
細かい装飾をビーズで行っている。
なかなか可愛いぞ。

電球袋詰め等の「受注作業」はビニール袋が使い切って
2週間ほどになる。今週の木曜日には佐川急便で届くので
やっと作業が再開できる。
一日同じ作業では息詰まるのだ。
午前「創作」午後「受注」の基本が一番理想的だ。

そして「ガス管解体チームは午前に納品に行ってきた。
2570キロで¥2520円だ。
午後は畑作準備でした。

2009年3月15日日曜日

秒針の音を聞いて、じいさんは何を感じていたのだろう。

夕食をすき焼きで晩酌

俺は腕時計を冬からスウォッチに変えている。
スウォッチのファンじゃない。函館のデパートで目の前にあったから購入しただけのこと。
帰省中に温泉で時計を無くしたから購入する(無くした時計はあったけどな)
深夜に秒針の音がチッチと聞こえて時を刻む。

短歌?俳句を良く作っていた「じいさん」だが(俺は「じじ」と呼んでいた)
尿瓶で食事介助の生活で、自分で身体を動かせない。
毎日納豆ごはんを介助して食べていた。
動けないからだと手術後の「腹が引っ張られる」と良く訴えていた。
孤独に病魔と戦っていたのだろう。

老年に脳梗塞で寝たきりで動けない残された人生と
その寝ている蒲団の横で長い人生を生きる(予定)の幼稚園児は頂き物の
「タミヤ」の戦車と兵士で遊んでいた(国鉄の父の友人からの頂き物なはず?)
俺はじじが大好きで布団の横で遊ぶのが大好きだった。

その横で。腕時計を耳元によせて。
「秒針の音を聞いてると、生きていると思うんだ」と話していた。

2009年3月14日土曜日

豚バラ肉マスタード煮込み


本日のお昼ご飯は「豚バラ肉マスタード煮込み」である。

2009年3月13日金曜日

見学とガス管解体班長

朝の送迎から帰ると相棒が送迎車に走りより「見学が入ってます!」
違う養護学校の見学が「ダブルブッキング」して合同見学を実施する。
二組の先生とお母さんが名刺交換して異質な光景だったそうな。
俺はさっぱり記憶が無い。

ガス管解体は手慣れて「解体スピード」が速くなってきた。
スタッフ常駐でなくても良くなっている。なぜなら利用者で「元港北授産所」のエース・エリート「Sさん」が
チームの士気を盛り上げ、細やかに采配する。
ぷらすわんの「赤い彗星」みたいなものです。
そして「凄く謙虚」だ。

作業中の眼は厳しく真剣である。でも休憩中の眼は人柄を表わすように優しい。
彼はメンバーに作業を強要しないで励まして、モチベーションを上げる。
そして、やることなすこと、ほとんど「男性パート」である。

「ガス管解体・チームリーダー」」として彼は皆に優しく語りかける。
「もう少しで休憩だから頑張ろうね」
「無理なところは僕がやるからね」
「終わったらコーヒーを皆で飲もうね」
「ゆっくりやりましょうね、ゆっくり」

作業の最後に静かに語りかけた。
「後かたずけが綺麗に終わることで、仕事は終わりといえるんだよねえ」

2009年3月12日木曜日

中華街へ外出


「日産キャラバン・ぷらす・わん号」で中華街へ外出してきた。
↑写真の「関帝廟」や新しく建立された「媽祖廟」を見てくる。

観光客や中学生と思われる学生が路地にあふれかえって賑わっている。
そんな俺たちは喧噪の散策を終えて
「ローズホテル横浜」の
重慶飯店でランチ」だ。

同伴介助者の若者「Tくん」は
「おお、前菜からこれですか・・」
「いいんですか・・・」
やばいっすね・・
「中華街、あなどれないっすね」
と、意味不明の感嘆を上げて食べる。

俺も食事介助しながら、
「だって、俺達、毎日さ、頑張っているもんね」
「俺達、ディズニーランドのミッキーより美味いものだよな!だよな!」
「生きてるって、素晴らしいねー」
「格言。生きているうちが花。だろ!」
「海老の外側がカリカリで中がジューシーな汁に、トウガラシを合えた
生姜とにんにく風味の甘辛ソースがたまらない、四川料理特有のブツブツ・・・」

意味不明なコメントしながら「麻婆豆腐」に目を細めて堪能する。
もちろん利用者2名も最高にご満悦だった。
個室なので人の眼なんか気にしないで良いのは凄く気楽だった。

「また、来ましょう」と中華街を後にした。
で、今晩の夕飯はオリンピックの「札幌味噌ラーメン」で晩酌。

2009年3月8日日曜日

献血してくる


晩酌中。

俺は献血車両を見たら無条件で受けることにしている。
特にA型が不足しているとのこと。俺はとても「きちょうめんな」A型だ。
そして2リットルぐらいOKである。

虚構と仮面のニュータウン・センター南「ふれあい広場」前で協力お願いの拡声器が呼びかけている。
すれ違う人たちと、受ける人たち。
採血車の前で母親を待つお子さんがドアの前で待っている。
医者の問診?を受けて待っていると
「人生山あり谷あり、明日は我が身。ご協力お願いします」と朱色のマジックでポスターを作っていた。

そしてラーメン「彦助」でつけ麺を食べて、引っ越し準備だ。

2009年3月5日木曜日

映画会


作業所「ぷらすわん」で映画会をしたよ。
ディズニー「アラジン」だ。
俺はほとんど見ていないが、身分の差を超えたラブ・ストーリーらしいぞ。

夜は作業所「ほっと館」に「ほわほわ」で会議の後、
夕飯はソバと「玄米ごはんと岩のりのお茶づけ」で晩酌。
そのときフライパンに腕を火傷して
痛みを酒で中和中。OK。

2009年3月3日火曜日

ぷらすわんで「ひなまつり」


都筑区折本町「淡島社」神社のお祭りで、
ここ「ぷらすわん」でも3発の花火が何度も聞こえてくる。
淡島神社の神様は「女神様」なのでこの日を奉り祝うのだろう。
「ぷらすわん」作業所もちらし寿司を皆で作って食べて祝う。

夕方にみぞれ交じりの雪が降り始めて寒くなってきた。
こんな時は宮沢賢治
風呂に入って晩酌しても寒くて、吐く息が室内でも白い。
でも冬は当然雪の道南育ちの俺には少し嬉しく思う。

みぞれの降る夜にこたつで晩酌してると
宮沢賢治「永訣の朝」の「あめゆじゅをとてきてけんじゃ」を思い出してみる。
兄が、死に行く妹の最後の願いを叶える為に、
最上の聖なるものを届けようとする願いと祈りの詩。

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨いんさんな雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜じゅんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわん
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

2009年3月1日日曜日

からすみ


晩酌の友は頂き物の「からすみ」だ。
生まれて初めて食べた。
軽く炙って頂くが、鮮やかな橙色が美しい。
贅沢で豊穣な時間を有難うです。

悼む人

「悼む人」(天童荒太)を読んだ。
(読んでない人には何のことかわからんでしょうが)

愛は自己の執着、エゴなのだろうか?
人の死に軽い重いはあると思いますか?
自分は誰を悼んでいて、自分は誰に悼まれるだろうか。
読んだ後に風呂に入りながら自問自答する。

旦那を刺し殺した「奈義倖世」は主人公と出会う事で魂が救済されることになったが、
別れて2人、別の道を歩むことになるのはしょうがない、のかな。
この人には幸せになって欲しいな。

特派記者の蒔野の家庭環境は俺の家に似ていた。
作者から俺は「許す」という事を問いかけられる気がした。
俺は「そういえば、父が俺に(風邪ひかないようにと)
肩までタオルケット掛けてもらった幼稚園時代の記憶があるな・・」
なんて思いだしたりする。

人の誕生と死、愛、幸せとは何か、物語の後半は拡散した人間模様が
一気にフィナーレへ向かっていく。
良い本でした。もう一度読み返そうと思います。

自己紹介

自分の写真
横浜市, 神奈川県, Japan
障害者・地域支援センター作業所型ほっと館「ぷらすわん」で働いている「やまちゃん」です。