2008年7月29日火曜日

募金箱

世の中、良い話が無くて嫌なニュースばかりですが、
コンビニの募金箱にお金が入っているのを目にすると
まだ、世の中、捨てたものじゃないと思います。

2008年7月28日月曜日

夕焼け


残業中、夕焼けの美しさに仕事の手が止まる。

2008年7月27日日曜日

インド

職場の同僚Sが「インド」へ旅行中。
インドでテロが多発していると報道しているので心配で電話したら、元気に楽しくやっているようです。「チョーお勧めですよ」だと。腹を壊すかどうか汚い所で挑戦的に食事したとのこと。帰宅したら意味ありげな「注射器」が転がっていたそうだ。
俺も仕事辞めちまって、どこかへ行きてえ。(逃避)

俺は司馬遼太郎「峠」(河井継之助が主人公)を読んで休日を過ごす。戊辰戦争で苛烈を極めた北越戦争で散っていった幕末の英雄の話でした。この人も書生時代けっこう遊学で放浪している。
やっぱりどこか行きたい気分となる。

今日はカニ・チャーハン

2008年7月22日火曜日

横浜帰還

帰ってきました。やっぱり現場で働くことは楽しい。
5日間の夏休みの間、プランターに水をやっていなかったので
皆、枯れて死にそうであった。


これは道南・「川汲(かっくみ)温泉」で土方歳三が入湯した温泉。単純アルカリ泉である。
100パーセント源泉。これで390円


これは旧南茅部にある、「大船下の湯」で地元の人にも知られていない「秘湯」で硫黄泉。
那須の鹿の湯に匹敵する濃厚な良い湯だった。やっぱり100パーセント源泉。これで200円。

2008年7月19日土曜日

恵山温泉旅館


<恵山温泉旅館>
晴れていると対岸に青森が見える恵山。霊場でもある。
酸性-含鉄(Ⅱ)・アルミニウム-硫酸塩泉の源泉100%かけ流しに入ってくる。
ここに巡り合えたのは幸運だ、
このハイ・クオリティで「300円」である。


近くにある「水無海浜温泉」(ナトリウム泉)は満潮で波に洗れ足首のみ。これでは入浴ではなく海水浴になる。熟年夫婦と立ち話、これじゃあかん、駄目ですわ、ということで取って返し、

<西ききょう温泉>函館近郊七重浜近くにある

含硫黄・ナトリウム-塩化物泉は、疲労回復に特効。地元・じじいリピータ多し。
ほのかに硫黄臭がある。無色透明。源泉100%(一部加水)
これで370円。最高。渋い。

2008年7月17日木曜日

帰省中

函館に帰省中。帰ってきた。
函館山は霧雨に煙って見えない。
飛行機は満席でツアー客が多かった。

帰宅して特産物「いかめし」「切れ込み」を食い、Web環境が未だ電話回線なのでADSLに申し込む手続きをする。

函館・四稜郭の近くに「陣川温泉」、ph9.8
アルカリ性の硫黄・硫化物泉に入浴する。

2008年7月15日火曜日

夏期賞与

夏期賞与・ボーナスで利用者の皆さんに一万円をお渡しする。
本日は「調理」で「ドライ・カレー」と「きのこのサラダ」「コンソメ・スープ」を皆で作る。

夜にリハセンDrから「躁鬱病」支援の説明を受ける。
17日(木)北海道・道南に帰省して温泉三昧「心のオーバーホール」をしてきます。

2008年7月13日日曜日

見直そう、あなたの支援をPart2

暑いですね。

「筑豊雑記帳」というブログを読むと、同業者として共感できる内容が多いです。
お時間があれば訪問してみてはどうでしょう。
知的障害者支援に関して
見直そう!あなたの支援をPart2」(社)日本知的障害者福祉協会支援スタッフ部会編
という小冊子に触れています。
普段現場で何気なく行っているスタッフの事例を取り上げてますが、
自分に照らし合わせて見直して行きたいと思います。

今後、手に入れて作業所のスタッフにお伝えしたいと思う。

筑豊雑記帳アドレス↓
http://0573773.at.webry.info/

なお、(社)日本知的障害者福祉協会・出版の「はじめて施設に働くあなたへ」は絶版になっていた。残念。この本は、20年前に地方高校卒業して「ふじの学園」の「生活指導員」(旧)だった俺にバイブルとして大きな指針を与えてくれた。答えを見出すまで、ボロボロになるまで読んだ。再販されたら即日購入で読みたい。


2008年7月11日金曜日

幸せの考え方

「横浜らいず」宿直中、眠てえ。

友人とは「横浜らいず」時代に同じ施設で働いていたが今回の4月1日の移動で5年ぶりに縁あって再会、仕事をするようになったが、以前は気がつかなかった「良い奴」になっていた。
行動もともなっていて、利他的で「良い奴」だ。
「良い奴」とは精神性のレベルが向上しているということである。

「自分が車に乗っていて、どうぞと他の車を譲る。ゆずられた人はありがとうと思うだろ、いい気持ちになって、その人が誰かに親切をして幸せの輪が広まるのは素敵だな」
「ゆずって挨拶しない人に、ムッとするんじゃなくて、他の車線に気を取られていたなど、悪くではなく、良く考えるような気持ちのゆとりが大事だな、と思う」と、話した。(たぶん)

同感である。そりゃ人間好調不調の波はある。それでも「平常心」で「幸せのおすそ分け」が他愛のない些細なことであっても誰かに行うことで、素敵な人生につながると思う。

俺はこのような考え方ができる友人を持った幸せを感じている。

2008年7月8日火曜日

新聞のジグ


新聞たたみの「ジグ」を「Sさん」が、ダンボールを切り合わせて作成してくれた。
たたんだサイズに合わせた「コ」の形状にはめ込み、
一番高いところで終了である。

これはエースのOさんが作業を完了した姿を記録したものである。

今日の朝の雨は凄かったですね。
彼は大雨の中、濡れて服を取り換えたくて敷地を走り抜けていく。
俺は利用者を雨に打たれないように走っていて、2人は何度も行き交い交差する、
せわしない朝の「ぷらす わん」であった。

2008年7月7日月曜日

個別支援目標できた。ざまあみろ。

「H20年度個別支援目標」ができた。嬉しいので祝杯の発泡酒を飲んで晩酌中。
つまみは「お好み焼き」。これはBolivia人に非常に好まれた。

支援目標を、通所者、一人ひとりの現在から未来まで考えて頑張って書く。
皆の顔やお母さん、日中の頑張ってる様子や笑顔が浮かんでくる。
それは支援計画というより「祈り」に似たものかもしれない。(僭越ではあるが)

らいずのPT、Hさんから「誰も、介護の地平線が見えてない」と発した言葉の意味が、その時は「禅門答」みたいでわからなかったが、少しわかってきたかもしれない。
「木を見て森を見ず」の意味なのだろうか。
利用者の地平線の彼方、幸せの希望ある計画を、今後も考え続ける。

2008年7月6日日曜日

個別支援目標

諸事情があって今、「H20年度・個別支援目標」を作成中。これは利用者ごとに個別支援計画に基づき一定期間で評価・見直しを行い、利用者中心の支援を行う基礎になるものだ。

今までも「~ができるようになる」という記述をよく目にする。
それが目標になり日々楽しく生活する視点がすっぽり抜けている記述がある。
「通所が休みがちであり、関連事業所の支援により通所できるように各種サービスを利用して、楽しく張りのある生活ができるよう支援する」という記入ならわかる。(大雑把だが)
しかし、知的障害者は努力して頑張るごとが死去するまでの義務であるかのように記入されているものもある。そして記入した人の「思想」が滲み出ている。

その前にスタッフが利用者を追い詰めて問題行動に仕立て上げていないか?
必要以上に彼らに努力を強いて緊張させていないか。
「約束ごと」や「ルール」で縛っていないか。
わかりやすい説明と日課だろうか。
自己選択、自己決定を行っているか?
矛盾することを話して混乱させていないか。
自分の否定的な言動で雰囲気を暗くしていないか。
号令かけて作業を進行させていないか。(刑務所の看守じゃないんだから)

俺も含めてスタッフが個別支援目標が必要かもしれない。
できればきれいなお姉さんに個別支援を受けたいベイベー。


コメントの危険性


家からでて今年初めてのトンボを見てたら、花が咲いていた。

ブログやSNSのようなバーチャルな世界にコメントを記入することは、つい、誰も読んでいないからと油断して機密露営につながることになる。そこで俺は、あくまでも公の自分であることを忘れないようにしている。自分が思ってもいないところで人は地下茎のようにつながり合っているからです。

2008年7月2日水曜日

かもめ福祉工房、訪問する

仲町台にある「かもめ福祉工房」へ利用者の皆さんと歩いて外出。昼食にテイスティなカレーを頂いた。

その時、先日、実習生の進路担当・中原養護学校の「O内先生」にお会いして「ホップ・コーンが作れる苗を玄関先に置いてきたよ」とのこと。

帰ってみると沢山の「苗」が丁寧な「栽培方法の手紙」と共にある。
俺は電車で運んでいる先生の姿が想像される。
すべて「あなたのためにできること、誰かのため」の思いだろう。
現代にサムライはまだ生きてるぞ、ベイベー。

わざわざ、かさばるのに沢山持ってきていただいて嬉しい贈り物でした。収穫したらみんなでフライパンで炒ってみたいです。頭が下がる思いだ。
今年度、世の中は良い人がたくさん居るんだな、とよく思う。

帰ってきてからは「笹」に願い事を書いた短冊を結んで、飾る。

2008年7月1日火曜日

七夕の季節ですね

花みずきから愛馬ロシナンテに鞍を置き、あてのない旅に出て3か月が過ぎた気持だ。いつの間にか、さまよう様に「七夕」の季節。

故郷の北海道・道南で俺が小学生の頃、近所を「たけーに短冊七夕祭り~」と歌いながら「長橋の子供会」で巡回して、お菓子やろうそくを頂く風習があったが、ここ横浜では無いようだ。
また、故郷も少子化や近所の関係希薄などで行っていない(たぶん)

笹は駐車場をお借りしている鈴木板金さまのご自宅から頂く。
おばさんは慈愛あふれる方で「弥勒菩薩」の生き写しのようであった。
(具体的にはめんどくせえので割愛)

作業所、「ほっと館 ぷらすわん」で七夕の飾り付けを作って、通所者もスタッフも願い事を短冊に書いた。(受注の仕事がすべて終わって、やる事なくなったせいもある)

当然、俺の願いは「世界平和」。他に
「フリー・チベット」「せめて、何も言わずに500万、くれ」
「綺麗なねえちゃんたちに、より、囲まれて仕事できますように」
男のスタッフが国籍問わず、来ますように

自己紹介

自分の写真
横浜市, 神奈川県, Japan
障害者・地域支援センター作業所型ほっと館「ぷらすわん」で働いている「やまちゃん」です。