2009年1月30日金曜日

プレゼント

朝、通所者から聞き取れぬほど小さな声で「どうぞ」とプレゼントを渡された。
サンタのチョコと旅行のお土産「新潟地酒ゆべし」というお菓子だ
なぜサンタなのかというと、彼女は「クリスマス」が大好きだから。
以前の施設で利用者からバレンタインデーにチョコを頂いた時も嬉しかった。
渡すときにとても緊張していたと後から聞いた。

数日「賞味期限」が切れていたが
そんなの関係無いし、問題無い。俺は食べるさ、この嬉しさ「プライスレス」。
この仕事して報われる瞬間だ。

この仕事して報われる瞬間だ。

2009年1月28日水曜日

「ほっと館 宇宙(そら)」のふきよせ弁当

インフルエンザが猛威を奮っているみたいです。
御身体を御自愛下さい。

日中活動が終わり、俺は花みずきで「H20年度・ほっと館ぷらすわん」の総括を
PC「レッツ・ノート」で書いてきた。簡単にいえば今年度の「振り返り」だ。

今日の昼食は同法人「ほっと館 宇宙(そら)」のふきよせ弁当を利用者と食べた。
弁当配達はスタッフと利用者で行っている。
今日は「ミートローフ」だったかな?凄く美味しかった。
いつも食べてるときが幸せを感じる。

2009年1月26日月曜日

カール・レイモンのソーセージは最高

実家から送ってもらった「カール・レイモン」のソーセージを塩コショウして
フライパンでこんがり焼いて晩酌だ。
「カール・レイモン」の生涯↓
http://www.raymon.co.jp/carlraymon/syougai.html

地元函館にドイツ製法のソーセージを作ってきたカール・レイモン氏
文中にある「大野工場」は俺の実家のすぐ近所。
国内の食通を唸らせた「胃袋の宣教師」マイスターは
戦乱の混沌の世を生き抜いた。
それは幼少の頃、働く父の姿を見てきて「僕の仕事はこれだ」と決めて
93歳で天に召されるまでの不撓不屈の生き様。

その波乱万丈、大正時代のドイツと日本の文化差を超えた熱情と
愛に殉して香港に駆け落ち、二度の大戦と突然の全財産没収、一文無し
北海道をスイス・オーストリアの様な一大牧畜地帯に!など壮大な夢と挫折。そして復活。
幾多の困難を乗り越えた最高の「漢」。
特に第四章がイイ!カッコイイ!ファイヤー!

世の中知られてないだけで
いくたの素晴らしい「漢(おとこ)」達が
魂を燃焼させているんでしょう。

2009年1月25日日曜日

「チェ・ゲバラ」の映画


「チェ・ゲバラ」の映画を見てきた。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html

かっこ良すぎる。
革命家で医師、詩人、有能な指揮官で
鉄の意志と炎の情熱を持つ男。
沢山のヒーローは居るかもしれないが彼以上の人はいないでしょう。
こんな人物が実在していたことが奇跡。

普通の革命家は権力握ったらその座に固執していくもの、
しかし彼は37歳でキューバ工業相からゲリラに戻る。
虐げられてる人々の解放のために。
これはできる事じゃない。

俺の好きな本に「フォト・バイオグラフィ、チェ・ゲバラ」があるが
発言・手紙が凄くいい。

「もしわれわれが空想家のようだと言われるならば、
救い難い理想主義者と言われるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう、そのとおりだ、と」
ああ、カッコいい。

カの群れに全身を刺されて、喘息、不眠不休の疲労の極限とライフルの音に死の恐怖と闘い、仲間を思い必死に理想に生きて、圧政のキューバを開放する。
最後にBoliviaで凶弾で天に召されるがゲバラ伝説は今も終わらない。

ゲバラ最高。

2009年1月24日土曜日

Twitterに登録してみるが


今週、以前の職場で通所されてたお母さんが突然「ぷらすわん」来訪、
(以前の職場へ)「いつ、戻ってこれるんですか、待ってますよ。あと2年ですか?」
とても嬉しかった。この仕事してて良かったと思う瞬間で報われる。

さて、Twitterだが・・
「つぶやき」を書いていくマイクロ・ブログたるものに
登録してみたが、どう使ってみたら良いかがわからない。
140字の制限で書ける事は限定される。
「すき焼きを食べた後、現在、バーボン晩酌中。ボロアパートのこたつでブログ更新中。車検費用が33万円で倹約生活」ぐらいで終わる。

でも、ミクシ疲れやブログ更新が滞るなどよりも、この140字制限ぐらいが
無理が無くて、ちょうどいいかもしれないな。
新しい自己表現のメインストリームになるかもしれない。

それで、何で書くのか?暇だから?
ブログやTwitter、mixiに書き込む理由は人それぞれあれど、
俺自身は「振り返り」になる。それも思考の一部を切り出してフォーカスしている。
人は目覚めて寝るまでの情報量は文庫で23冊?くらいの情報に晒されているらしいが、
それを少しでも、くだらない事でもアウト・プットする事に
やらないよりやる意味はあるだろう。

俺は日々消え去るのみの日常を記録していく。
それは、より良く生きるヒントを見出すためでもある。

2009年1月20日火曜日

「陽転思考」

厳しい寒さも和らいできて
梅の花を見ると春が近付いてきている嬉しさを感じます。

デット・オア・アライブ的な作業所運営ですが
「スタッフの人員が薄い」やら、なんやら、ここで書けない問題etc。

「問題点摘出シート」たる問題・課題を各項目で書き出してカテゴリー化し、なぜ(why?)解決できないか洗い出してブレイク・スルーしていこうという試みを行っているが、
書いてみてディープに頭がクラクラしてきた。
初めて隠れてタバコを吸った時のようなトリップ感である。

でもだよ。
「スタッフの人員が不安定で入れ替わりが激しい」H20年度であった事で
通所者の心身の不安定さをまねいたかもしれないが、
新しい支援、試みが導入されたと思う。
良い事はあった。

周囲の人を叩く、ひっ掻くなど問題行動を行う通所者については
俺は土日も寝ても覚めても、「四六時中」考えて支援策を考えてきた。
はっきりいって、それは辛い。(10円ハゲはできなかったが)
でもそれが仕事。
もっと辛い人沢山いますから。

解決できない、しかし組織が支援で疲弊していくのを見過ごせない。
学習して解決策を提示するしかなかった。
その結果、「応用行動分析」という支援のスキルを知るきっかけになった。
(この療法の是非は別)

良くないことや不運や困難は「プラス思考」で乗り切るようなシンプルで行かないと思う。
確かに、マイナスであれ、プラスであれ出来事は
「起きる事はすべて正しい」。事実なんだから。
それを意味あるものにできるか、どうか。

一見、マイナスなことでも長い目で見れば「プラスの要素」が隠されているかもしれない。

そんな俺にYES。

2009年1月19日月曜日

ご家族面談

やはり出勤すると風邪でお休みの利用者が多くて
通所した利用者も発熱していた。
日々13人から10人の通所が、5,6人しか居ない。
ひっそりとして寂しい雰囲気で作業を行う。

夕方から利用者ご家族と面談を行う。
より、良い支援の為に年度末にかけて毎年、行っている。
基本的にご家族は第三の療育者ととらえてお話を聞いた。
我々スタッフは日々、昨日より今日をより良く支援できるように願って頑張ってきているが
親の子に対する愛にはかなわない。(と思う)
しかし支援スタッフもそれに負けないぐらい熱い気持ちで
対峙していきたい。

2009年1月18日日曜日

飯島愛さん

アパート周辺で梅の花が咲き始めました。
まだまだ寒いですが、日が出てると空気に春を感じます

同じ年の人が亡くなった。
色々TV・週刊誌で書き立ててるが、 死人に口なし。下品で卑怯だな。(俺はテレビ18年持ってないけどな。) もうほっといていいんじゃないか。 清濁あわせ飲んで精一杯生きたんだから。誰でも生きてると、叩けば埃ぐらい出るもんだ。

冥福を祈っております。


実家から荷物が届いた。


          かつお節

これが「ごっこ」だ。北海道から来た。

↑これが「ごっこ汁」

実家から荷物が届いた。
荷物の中に「ごっこ」というアンコウ科の深海魚が入っていて嬉しい。
さっそく調理して「ごっこ汁」を作る。
久しぶりに「調理」で本気を出してみた。
本気を出す時は「ボリビア協力隊時代の赤いエプロン」を使用するのさ。

まず、昆布でだしをとり(俺はカツオ節でさらにだしをとる)
しめじと長ネギ、岩のりを入れる(実家では豆腐を入れる)

さてこれから食べるぞ、と炊飯ジャーのふたを開けると
ご飯炊き上げ失敗である。(炊きあがるとレバーがビョン!と上がる。それしか機能が無い大昔の原始的炊飯ジャーを使ってる。)

この淡白だが深みのある「ごっこ」独特の味はなかなか他の魚で代用できない。
美味しかった。

荷物の中に一番下の妹から(Nrsをやっている)現金4万円が同封されていた。
よせばいいのに・・
さらに「売れてます!ものすごい疲れに」という歌い文句で栄養剤。
有難い。

さて、体調は一週間続いた風邪もようやく治ってきた
しかし、他の利用者が風邪でダウンが多くなってきた。
明日は元気に通所できるだろうか。


2009年1月16日金曜日

焼き鳥


焼き鳥で晩酌する。
作業所は風邪が流行って通所者が激減、ひっそりと静かに活動を行う。

2009年1月15日木曜日

夜は考えない方がいい

仕事が終わってボロアパートに帰り晩酌する

夜に考える事はろくな事ないので、さっさと寝るのが一番いいが
晩酌しながら考えてしまう。

皆さんは仕事を数値にしたら、どの様に表現するのでしょうか。
俺は30代後半の正規職員、部下ありの位置で、小規模作業所の担当者の位置づけで

今の気持は悩み、悲しみ、プレッシャー苦痛苦悩が80%。
喜びが20%で、その20%で80%を超えて気持ちが克服できている、と思う。

その80パーセントはパッション「情熱」の影、「受難」だろう。でも、
理想を求めて、周囲の幸せを願ってないなら、80%は請け負わなくてもいい。
それに、80%の中の過去の悔恨が逆に仕事でリングに上がるモチベーションになっている。

例えば夢多い少年が俺に多くの夢を語って遺伝病である「ハンチントン病」で夭逝した一部始終を知っている俺は願いを一つも叶えれなかった。
「俺は仕事して00ちゃんと結婚して幸せにしたいんだ」「赤いロードスターに乗るんだ」と何度も語って、体力を持て余すように狭い施設の廊下を走り回って転倒していた。俺が退職して協力隊から帰ってきて3年後に施設で再会したら。

彼は意思表示できない、話しかけても何も表情は動かない。微動だにしない状態で車いすに座っていた。元気で活発で、走り回って落ち着きの無かった彼の面影はまるでない。
それから2年たって職場のK先輩に「Yさん、どうでしょうか?」と聞くと
「ああ、亡くなったよう・・。」20代後半で母親、姉と同じ年齢で、
夢を一つも叶えないまま施設から出る事も無いまま天国に行ってしまった。
人並みの幸せも無いままに。

俺は高校を卒業して19歳から地元の知的障害者入所更生施設で働いて「協力隊に行く」だなんて理想で26歳で退職まで勤務した。
最後の勤務日の「お別れの時」60人の利用者が見送ってくれた時、みんなが手を振ってくれてた。
行かないでって俺の車を取り囲んだ。
彼らは退職の自由も無く、その地方の山奥の施設で生涯を終えていく。望んでもいないのに。
「知的障害」のハンデのために。「知的障害」は辞められない。
俺は理想を楯に、本当は職場が嫌いで去って行くエゴイストだった。
本当にごめんなさい。

20%の大切なものを見出すために働いている思ってきた。
でも20%を覚えているのかな?俺?思いだせますか?

貴方のためにすることが私の喜びであり
私の苦しみが誰かの幸せになる
そして、私は私のために努力してきた(はずだ)
それでいいのだろうか。

2009年1月13日火曜日

「豚バラねぎま風鍋」


夕食は「豚バラねぎま風鍋」

午前にリサイクル業者へ「ガス管」を回収に行く。
しかし昼に発熱で帰宅、自宅静養中である。

2009年1月12日月曜日

Alfa147車検


連休中は風邪にやられて寝込んだりすると、
普通の行いができる事は、幸せな事なんだな、と
米を研いだり、家事をしてると改めて感じます。

それでなくても頭がボーっとしている中、
「車検代見積もり」の電話がきて「26万円になりまーす」で
よりいっそう頭クラクラ。
前金7万円でトータル33万円だ。

今度はAlfa147から「福祉職」にふさわしい
身の丈に合った「ワゴンR」にしようと思うぞ。
こいつ「Alfa」は4気筒なのにプラグ8本交換する、「地球に厳しい奴」である。
女だとグッチあたりで身を装い、赤いピンヒールな感じでしょうか?
そろそろ金の切れ目の別れ際かもしれない。

俺は羽振りが良い、と思ってはいけない 。
住居は木造ボロボロアパートで朝の室温は
現在、限りなく0度に近い。
衣食住をすべて切り詰めてAlfaに乗っているが
昔の芸人かヤ0ザみたいだと言われた事がある。

じゃあなんで買ったのか、というと
試乗車に乗って「ディープ・インパクト」を受けた俺は
次の日に「我慢して何が人生だ」、と思い
その場ではんこポーンだ。
それが2人の愛の歴史の始まりだった。

食べ物調達+α以外に出歩けない俺は、あとやれる事は
TV持ってないので「読書」のみ。
TVは15年ぐらい持っていないので、冬の帰省のたびに
「おっ、このタレントは老けたねー」とか
「動く倖田來未、初めてみた!」なんて塩梅。

さて、読書ですが
「いい男の条件」である。
いい男になるぞ!

2009年1月11日日曜日

特殊清掃「戦う男たち」

遺体処置(自殺・孤独死・事故死)から特殊清掃・撤去まですべてお引き受けする業者がある。
その「隊長」と呼ばれている方が、丁寧な文章で業界のレアな事、
悲惨な腐敗死体の清掃・処理などを通じて
人が生きる意味を掘り下げ、読者に問いかける。

「隊長」の文章がとてもうまい方で
しかもPCではなく「携帯」で作成しているとは驚きだ。

特殊清掃「戦う男たち」
http://blog.goo.ne.jp/clean110

朝にこのBlogを見つけて、ずっと読んでた。

特に10歳未満で病死した女の子の母親が
棺桶にすがりついて
「生きていたら、楽しい事もたくさんあっただろうに」と号泣したエピソードなど
何度か涙がでてきた。

人生を戦う男の記録を読んでみて下さい。
とても良いですよ。

2009年1月10日土曜日

晩酌のBGM

BGMは「ABBA」で「ダンシング・クイーン」が有名である。
台所の蛍光灯が同時に切れたので、ついでにオリンピックでCD買ってきた。
「ユーキャンだーんす~」で絶対聞いたことあるはずよ。
ダンスナンバーのイメージでいたが、なかなかしっとりとした
バラードと透き通る綺麗な声にびっくりした。

世界には聞ききれない良い曲が沢山あるんだろうな。
と思ながら自宅用PCの容量は増えて動作が遅くなってきた。

晩酌の友は
1、あなご釜めし(センター南・オリンピック・駅弁コーナーで購入)

2、にんにく蒸し焼き

3、毛羽先(塩コショウ)

2009年1月7日水曜日

七草粥と地方文化


職場で七草粥たるものを調理して食べて美味しく頂いた。
これで今年も「勝ったも同然」である。

北海道・道南出身の俺は食べた事が無いので、今回、生涯で初めてであった。
(たぶん、実家は作ったことが無いはず)

雪で閉ざされていて、草なんて生えてる環境でないからか?
それに実家は「おせち料理」も作って出た事が無い。
正月は「豚汁」「雑煮」「鍋」「鯨汁」「茶碗蒸し」が定番である。
実家は函館からさらに大沼公園よりの「超ド田舎」で「兼業・農家」である。

俺は関東圏・神奈川に来て「おせち」たるものを知った。

しかし、函館の商業を営んでいる家は「おせち」を作って食べるらしい。
めでたいものを食べて「商売繁盛」など祈る気持ちで作っていたのかな。

それと、こっちの人が妊娠して腹に
安産祈願の帯を巻くというのも知らなくて
「なんだ、それは!」と思ったものだ。

後日談:実家の母に問い合わせたら
帯を巻くとのこと。
失礼しました。

俺は結婚していないし男なので生まれ行く子への思いは分からないし
想像しようがわかりません。
母親になる女性が、この帯に願いをかけて祈る気持ちに俺はうたれました。

2009年1月6日火曜日

初詣 ぷらすわん外出

午前中は「師岡熊野神社」へお参りに行く。http://www.kumanojinja.or.jp/yuisyoki1.html
さらに午後は「淡島社」へお参りの散歩する。

村人が力自慢した石らしく、とても重かった。「俺はこんなの簡単だ!」なんて。
かなり無理な遊びをしてたんだな。

書き初めをする。

利用者の皆さんと再会。作業所の活動が始まった。

皆で書き初めをして壁に貼りだす。
人によっては「横須賀」だったり「鹿島」の「地名」や
「水戸黄門」だったり、不可思議な「ナイキマークの記号」など様々。
「パート給与を上げて!」なんてのもある。

俺は「行雲流水」と書いた。なぜかそんな気分だからだ。

2009年1月4日日曜日

H21年度の仕事が始める


H21年度の仕事が5日から始まる。長い冬休みも終わりだ。

「応用行動分析」を基にした利用者支援の本を読んで、これからの作業所の戦略を練る。
考えて煮詰まってノートに書き出して、整理して、
さらに「マインド・マップ」の手法で書き出して、
思考の「輪島塗」をしながらオーケストラを指揮するような感じだろうか。

泣いても笑っても3か月しかないので
俺の本気って奴をお見せしよう。
(飲酒中)

2009年1月3日土曜日

淡島大明神様


わが作業所「ぷらすわん」の守り神、都筑区折本町の「淡島大明神」様に新年のお願いをしてきた。
日本で数少ない女性の神様で、安産・婦人病、縁結びの神さまらしい。

以前、一緒に働いたことがある「霊感高い」Nさんが
(作業所のある場所)「ここは女性が守っていますね」
と話したことがあり、すぐ近所にこの神社があった。

自己紹介

自分の写真
横浜市, 神奈川県, Japan
障害者・地域支援センター作業所型ほっと館「ぷらすわん」で働いている「やまちゃん」です。