煙たくて目が覚めるとアパートの前で、おっちゃんが野焼きしている。北海道・道南の田舎ではどこで、誰が何を燃やしても(という訳ではないが)大丈夫、OKなところがあるが、ここ都市部ではなかなかできない。
この焚き火という行為は原始の狩猟時代の頃から生きるための営みなので、火を見てると落ち着くのかもしれないし、燃えていく木を見ると安心できるのだろうか。(小学4年の頃、親父が俺の全部の教科書を燃やした時も、さぞすっきりしたに違いない)
原始の集落に狩りから戻ってきて、食糧を焼いて食べるときに、命が確保される安堵感は大きいだろう。その時の主役は「火」だろう。俺は調理でIHでは気持ちが盛り上がらない。やはり炎は大事でしょう。
そう、ここは「横浜の秘境・チベット」(不動産屋・談)
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